本当の充実を求めるあなたへ。「今日の芸術 新装版 ~時代を想像するものは誰か~」

皆さんは毎日を心の底から充実して過ごせているでしょうか?
私は他者の評価や言葉が気になって中々行動できないタイプです。
本音は様々なことに挑戦したり、やってみたいという気持ちが強いのですが、人に受け入れてもらえるものや恥をかかないものをやろうとしてしまったりして、本当にやりたいことができていないことに葛藤を感じています。
そんな中、この本に出合い、この本の中で様々なことを考えさせられ、また自分と向き合うきっかけになったので、この本をご紹介したいと思います。
今回は
・自分が心の底から満足することを見つけたいと思っている方
・芸術について興味がある方
に岡本太郎さんの「今日の芸術 ~時代を想像するものは誰か~」という本を私の所感と特に気になったポイントを3点ご紹介したいと思います。
この本から感じた私の結論
この本は岡本太郎さんの芸術に関しての書籍になります。
しかし、その内容は芸術に留まらずに、人生の生き方や物事への向き合い方など様々なことを考えさせられる内容となっています。
そんなこの本から感じ、私が再確認した結論は「ありのままの自分で表現をすること」この一点です。
言葉にしてしまえば大したことはありません。
「ありのままの自分を表現する?それなら、やっているよ。」そう感じる方もいるでしょう。
大切なことは結論に至るまでの考え方であり、結論とは考え方の最後に締めとして来るものです。
ですので、皆さんがこの本を実際に手に取り、感じ・考えることは私とは違うものになるでしょう。
あくまで、私がこの本を読んで、自分なりに考えた結果が「ありのままの自分で表現すること」ということです。
是非、実際に読んでみて、自分の考えをまとめてみてください。
それでは、私が結論に至った本書の気になった部分をご紹介します。
うまい絵を描こうとするまちがい
私は何かを始めるときにいかに上手にできるかを考えます。皆さんはいかがでしょうか?
例えばふと絵を描きたいと思って、美術部に入ったり、絵の習い事を始めたりするとします。
そして、自分が頭の中でイメージをする理想の絵を描こうとするわけですが、当然のごとく現時点で大した技量もないので、理想とかけ離れた絵が完成します。この現時点の自分の実力を悲観して、ダメだなあと感じることは絵だけにとどまらずどんな事でもあると思います。
そんな中で指導する先生が自分の絵に対して、「絵が崩れている」とか絵の技量に対する評価を下されると、もう何も言えなくなり、ひっそりと絵を描くことをやめてしまうということを紹介されています。
これに対して、岡本太郎さんは「うまい絵はそもそも誰にでも描けるものではない」と言います。
一般的に技巧を凝らした絵というのは幼いころからひたすらに絵を描き、試行錯誤して自らの技巧を磨き上げてきた人だからこそ描けるのです。
それを素人の人が同じものを描こうとしても、同じように描けるわけなどないので、絵を描くことがつまらなくなったり、自分にはできないんだと思ってしまいます。
それよりも、素人であることを臆せず表に出して、今の自分のありのままを表現すればよいのだと言っています。
そこから感じるのは「人と比べてどうかということではなく、そもそもあなたが描きたいと思って絵を描いたことが大切」であること。

例えば、私はblenderを使って、3Dモデリングをしたいと思って勉強をしています。その参考の為に書籍を買って、お手本通りに女の子をモデリングしようとしています。
なぜ、参考書を読みながらモデリングをしているのかというと、右も左もわからないから、手順ややり方をまずは学んでからやる必要があると考えたので、書籍を手に取りました。
けれど、初めてやることなので、どうしてもお手本通りには作ることができません。お手本に比べて不格好な自分が作った作品を見ると嫌になって、「自分には才能がない」とか「自分には無理なんだ」とあきらめてしまいそうになることはよくあります。
しかし、岡本太郎さんが言われる通り、お手本という絶対の基準を作り上げて、それに対して、上手いとか下手だとかはそもそもおかしいのです。
お手本の通りに作るのが目的なのではなくて、作品を作り上げる喜びと書籍を通して作り方を学んで、オリジナル作品を作りたかったからやっているのです。
皆様はいかがでしょうか?普段から、何かをしようと思ったときにこのように比較をして、興味が無くなってしまった経験はないでしょうか?
けれど、本当は自分の中にある「こんなことをしてみたい」という思いがあって始めたのではないでしょうか?
上手にやることが目的ではなくて、「やりたいと感じたから」やっていることを忘れては本当に物事を楽しむことができなくなってしまいます。
デタラメがなぜ描けないか
さて、お手本通りにうまくできなくて嫌になってしまう人たちに岡本太郎さんは「それならば自由な精神で、下手なら下手でどんどん絵をかいてみましょう」と話をします。
しかし、「下手に描こうとすると全くでたらめになってしまいます。」というのです。
岡本太郎さんはそれに対して「お手本通り絵を描くのではなく、デタラメになってもいいから描いてください。」と言うと、「それなら描けるかもしれない」と言って、紙とペンをもつものの、全く描くことができないというのです。
皆さんも経験がないでしょうか?間違ってもいいから、自由にやってみてくださいと言われて、「自由にやっていいんだ」と思い、いざやろうとすると全く作業が捗らない。
これに対して岡本太郎さんは「自由に絵を描くためには自由な精神を持っていないと描くことはできない。」と言います。
自由な精神で描くというのは、お手本やモデルがあって、それに沿って描くのではなく、頼れるものはなく、全く今までなかった新しいものを無から作り上げること。
つまり、本当の自分の力だけで0から創造する必要があるということだと言います。

ここに私が10分で何も参考にせず、自由に描いてみた絵を貼っておきます。
どうでしょうか?皆さんもこれなら描けると思ったのではないでしょうか?
しかし、どうして私たちはこのような簡単な絵すら描くことが難しいのでしょうか?
それは岡本太郎さんの言っている「自由な精神」がないからなのです。
絵を描くときは、うまく描かなければならない、綺麗に描かなければいけないという先入観が私たちの精神から自由を奪ってしまうのです。
「ありのままの自分を表現して押し出していくことに対して、何一つとして恥じ入ることはない」と岡本太郎さんは言っています。
ここで先の項目でお話しした「素人であることを臆せず表に出して、今の自分のありのままを表現」することに繋がってくるのです。
私たちは現在生きている自分以外の何者でもないのです。
どんなに背伸びをしても、どんなに自分を繕ってもそれは本質的な自分ではありません。
寧ろそんな自分は自分ではないと感じることがあるのではないでしょうか?
自分を自由に打ち出していくことを忘れなければ、もっと創造的に自由な精神を得ることができるのです。
そして、自由な精神が本当に自分が感動できるような体験に自らを飛び込ませていくのだと私は思います。
見られたくない
子供の頃は歌を歌ったり、絵を描いたりすることが自然と楽しく喜びであふれたものであったのに、大人になるにつれて、不思議とやらなくなるのはなぜでしょうか?
これは社会的な意識を持つにつれて、自分と他人とを比較するようになります。
そして、自分が他人よりも上手であれば絵を描き続け、下手であればやめてしまうのだと言います。
しかし、本心では絵を描いたりしたいと思っているのにやめてしまうのは、絵はうまくなければいけないという考え方がすでに定着しているからであると岡本太郎さんは考えています。
確かに小学生の頃の授業を思い出しても、上手(綺麗に精巧に)にできているクラスメイトは褒められていましたね。
私はあまりにも下手だったのでしょう、一生懸命に描いた絵や作った版画を馬鹿にされた記憶があります。
そのため、絵を描いたりマンガを描くのが好きだったのですが、ピタリと描くのをやめてしまいました。

ハロを見て書きました。
しかし、それが本当に大切なことなのでしょうか?
先にもありましたが、私たちが本当に大切にすべきことは「自由な精神」で「ありのままに自分を表現すること」であるはずです。
今日はSNSが発達し、いろんな方と繋がることができるようになりました。
その中で自分よりも上手だと感じる人や作品を見るとなんだか恥ずかしくなったりすることもあるかと思います。
しかし、自分をありのまま表現できている人が恥ずかしいと感じることなどないのです。
そんな風に自分を抑えるではなくて、寧ろ恥ずかしさを感じてもいいから、自分を押し出していくことを意識すれば、充実した毎日を送っていくことができるのではないでしょうか?
最後に
今回は岡本太郎さんの「今日の芸術 新装版 ~時代を想像するものは誰か~」を読んで考えたことを共有させていただきました。
読みながら、全部自分に当てはまるなと思い、ありのままの自分をもっと押し出していきたいという思いが強くなってきました。
今に充実感が持てない方は是非一度本書を手に取って、自分の生き方を見つめてみてはいかがでしょうか?
そして、是非今日からありのままの自分を表現することを意識してもらえれば幸いです。
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